宮城県沿岸部
新人社員研修もあと1週間と数日となりました。
会社の規定からビジネスマナー、事業紹介、展示会への参加などなど
おもしろいこともつまらないことも経験させていただいております(*´з)
そんな中、5月16日から3日間東北事業所で復興事業研修を受けてきました。
いろいろと考えたり、勉強できたので書き留めておこうと思う。
2011年3月11日以降、
何度かボランティアだったり、家族の立場として被災地に行きました。
そして今回ははじめて会社の人間として。
仙台市太白区の荒浜、宮城野区の田子、石巻、南三陸、気仙沼。
私の会社はコンサルタントとして、
もしくは事業主として人が住むまちのハードインフラをつくってます。
やっぱりそれぞれの地で抱えてる問題は少しずつ違くて、
でもどこか同じ根っこを持っているような気がしました。
作業着を着て、町を歩いていると本当に多くの方達があいさつをしに来てくれる。
同業者は「お疲れさま」
まちに住む方達は「こんにちは」だったり「暑いのにありがとう」だったりする。
技術的な問題は置いといて、
あの地で様々な方向から関わってる人たち全員が、そこに住む人たちのことだけを考えてる。
そんな感じがした。
綺麗ごとばかりじゃない。
日本中のどこの町でも同じように問題になっている過疎化、高齢化。
そこに立ち向かう必要はあるのか?
もし、あなたが総理大臣になったときに
生まれた時からそこに住むおばあちゃん・おじいちゃんの目を見て
「ごめんね。もうここで働いて、生活を送ることはできません。だって10年後には人がいないんだもん。あなたたちのために数百億のお金を使えますか?だから他のとこに引っ越してください。」
と伝えることはできますか?
1人1人の価値観だったり、日本全体、もしくは世界中の政治システム自体を変えなきゃ
解決しない問題かもしれないね。
どうしたら復興するか?
本当に復興させる必要があるのか?とてもとても難しい問題だと思う。
だってその場所が好きだから、そこに生きる人を救おうとしてたくさんの命がなくなってしまったから。
東京や仙台の市街地にいると、だんだん忘れてしまう。
「明日という日があたりまえに来る」のだと思い込んでしまう。
瓦礫が撤去されつつある今、そこにあるのは何もない土地のみ。
ここからの道のりがとてもとても長い。
今ある家屋を解体し、10メートルほど土地を上げたり、山をきる。区画整理をし、上下水道、電気、ガスなどなどを整備する。道路をつくり、信号機や歩道、ガードレールをつくる。港を舗装し直し、防波堤を建てる。工場や会社を建て、家をつくる。新しいハザードマップが作られ、避難経路や避難所がまた新たに設定される。
そして人と人がまた新たに繋がり、その手によってルールが作られる。
そうすると、ようやく1つのコミュニティーができあがる。
まずはその過程に携われる会社を選んだことを、改めてよかったなと思う。
そして私が伝えられることは、やっぱり伝えていきたいなとも思う。
写真をいくつか。
慰霊碑@荒浜
父の母校、門脇(かどのわき)小学校@石巻
津波で流されてきた船が町の中に。記念公園の建設計画もあるみたい@気仙沼
津波の威力によって1階部分がまるまる抜けた日本酒の会社@気仙沼
復興長屋@気仙沼。入店できるお店は抽選だそうです。
菜の花って強いね。潮を浴びたどの土地でも綺麗に咲いてたよ![]()




































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